業者へのお問い合わせ・ご相談はこちら

業者を探す
フリーワード検索

サイト内検索




京都・住まいの専門業者 NAVI

トップページ >ひと・まち散歩

ひと・まち散歩

  • 上島ひとしさん ~感性をカタチに、自分スタイルの住まいづくりへの想い~

  • ▼上島ひとしさん
     
    昭和32年10月19日 富山県生まれ
    一級建築士事務所アーキフィールド建築研究所 所長
    D&Dアーキテクツ 代表
    京都建築大学校 客員教授
    京都健康住まい研究会 副理事長
     
     
    行楽日和。桜も見納めの4月17日の日曜日。河原町五条にある「ひと・まち交流館 京都」で、第6回「あなたの住まい塾」が開催された。「リフォーム」がテーマのせいか、開催日前日に、京都新聞の告知欄を見たという中年女性から事務局に問い合わせの電話があった。当日には、新聞を手に参加する人の姿も見られた。

    「あなたの住まい塾」は、上島さんが企画しコーディネータを務めるセミナーで、上島さんの住まいに対する熱い想いが込められている。

    上島さんの「住まい」に対する熱い想いは、育った環境によるところが大きい。
    農家で大工であった父親。自由な発想でのモノ創りへのあこがれが、東洋大学工学部建築学科への道を歩ませた。大学時代には、オフコースの小田和正にあこがれ、音楽雑誌で知ったバンドのベースギターを担当し、ライブハウスで演奏。シングルレコード盤が発売された経験を持っている。
     
    「感じたことを自由な発想で表現したい」。この思いは、あらゆる面で上島さんスタイルである。数年前には、D&Dアーキテクツの事務所があった上京区室町の町内で「昔の子供あそび」を企画し、竹馬・コマ廻しなど子供と大人が一緒にあそびを楽しむ場を提供している。
     
    「型」にはまらない子供心。感性をカタチにする芸術家肌が上島スタイルの源泉だ。
    昭和63年には、「まちづくり設計競技・新しい都市型住宅地の設計競技」の準特選に選ばれ、平成4年には、「神戸・狩口地域センター設計競技」(仮称)で佳作に選ばれたのも芸術家肌の創造性が評価されたものと言える。その生来の自由な発想が、布野修司(当時、京都大学大学院教授)の「自然の住まい」に触れ、森京介建築事務所(東京)、浦辺鎮太郎建築事務所(大阪)での経験を経て、建築家としての社会的役割や使命を目覚めさせた。
     
    平成11年に設立された京都健康住まい研究会には、発足当初から参加し、自然と環境に調和する住まいや着工から完工までの施工過程の健全なシステム(K-ネットシステム)の提案を行い、実践している。
     
    「あなたの住まい塾」では、顧客の「自分スタイル」と言う感性をカタチにするため、上島さんが代表を務めるD&D(デザイナー&ディレクター)アーキテクツに登録する建築家とのコーディネートを行っている。
     
    「顧客の創造」。最近、上島さんがよく口にする言葉である。「あなたの住まい塾」も「顧客創造」の一環であると言う。お客様の求めている生活スタイルをカタチにするだけでなく、潜在する生活スタイルのニーズにも 応えようとしている。建てる前、建てる過程、建ち上がった後のニーズにも満足を与える新たな価値づくりが上島さんの「顧客創造」のテーマである。
     
    「顧客創造」の重要性は、ドラッカー理論により検証され実証された名言であるが、今の上島さんにとっては、あくまでも仮設であり実証するためのテーマでしかない。 感性を追い求めてカタチ(表現)にすることへの上島さんの情熱が「顧客の創造」にどのように生かされるか、上島流「顧客創造」が楽しみである。
     
    今年度も、また上島さんが主催する「あなたの住まい塾」が開催される。 
     
    平成23年4月20日
    取材:岩本 昌信
     
    業者詳細ページはこちら⇒

  • 永谷 英樹さん ~学んで実践・夢紡ぐ起業家魂~

  • ▼永谷 英樹さん
    昭和31年6月6日 京都府宇治田原生まれ
    株式会社 永谷木材 代表取締役
    京都健康住まい研究会 副理事長
      
     
    「社会の小さな歯車になる」。昭和58年12月、永谷さん創業の時の志しである。夫婦二人家業としてスタート。平成4年6月に法人化。現在、社員数14名の企業として成長の過程にある。
     
    「社会の小さな歯車になる」という永谷さんの志しは、その事業活動の中で垣間見ることができる。
    会議室に掲げられている感謝状は、地域の社会福祉施設に車椅子などを寄贈したことによるもので、平成19年9月から毎年寄贈していると言う。猛暑の今年はスポットクーラを寄贈した。この寄贈は地域清掃のボランティアで回収したアルミ缶や古紙などを換金し、それを基金に行っている。まさに、地域に貢献する「社会の小さな歯車」である。
     
    また、事業活動での「小さな歯車」として、取引先の工務店の支援活動を行っている。平成17年から開催の「住まいるフェアー」「木工教室」そして「家守(いえも)り通信」の発行がそれである。ちなみに、今年の「住まいるフェアー」は《エコして得する快適生活》をテーマに住宅版エコポイントコーナーやソーラーパネルを展示するとともに、木に絵や文字を描く「デコラティブペイント」も開催した。
     
    永谷さんは、高校を卒業後、大阪産業大学機械工学科夜間部に入学。昼は、大阪の建材会社で働く勤労学生で、将来は「母校の中学の先生にでも…」と思っていた。
    その永谷さんが起業を志すきっかとなったのは、父親の事業(林業・農業)のつまづきであったと言う。
    「実家を立て直すにはサラリーマンでは駄目だ」。経済的基盤の確立と安定への欲求が刺激されたのかも知れない。その後、父親の病気がきっかけとなって、  当時、勤務していた京都の木材会社を辞め、事業家に転進した。
    事業を始めて間がない頃、隣地境界のことで小さなトラブルがあった。この時、永谷さんは地域との信頼関係づくりの大切さを感じたと言う。
    このような体験を経て学んだことが「社会の小さな歯車になる」という志しの原点なのかも知れない。体験に基づく志しは、実践を通してより強固なものとなっているようだ。
     
    今、永谷さんは、「社員の幸福・未来が見える、京都で一番の木材店になる」ことを夢みている。
    そのためには、社員にそしてその家族に誇りを持ってもらえる会社をつくること。社内報「もくもく通信」の発行もその一環なのだろう。
     
    永谷さんは、毎朝、午前6時30分には出社し、プレーイング・マネージャーとしてその先頭を走っている。ちなみに、木材保存士・木材劣化診断士の有資格者としてその役割も担っている。
     
    『木の年輪のように 一歩一歩 着実に
     時流を見つめ 時流に流されず 大地に深く根を張り
     空高く枝を広げる 大樹になろう いつの日か』
     
    これは、第19期 平成22年度・永谷木材「経営指針書」表紙を飾る文言である。
     
    取材を終えて、駐車場を出る時、一礼して見送る永谷さんの姿がサイドミラーに映っていた。
     
    平成22年 8月 3日
    取材:岩本 昌信
     
    業者詳細ページはこちら⇒

  • 松波 實さん ~自分にまっすぐな熱中人~

  • ▼松波 實さん
    昭和23年3月1日 京都生まれ
    株式会社 松波硝子店 代表取締役
     
     
     
    110キロあった体重が、今75キロ。特別なダイエットをしたせいでもなく、まして病気なんかでもない。普段?どおりの生活で減ったそうである。「うらやましい」限りですが、松波さんの性格、生活ぶりからすれば納得できる。
     
    頼まれたら断らない、かかわったことは納得のいくまでトコトンやる。今、松波さんは、本業以外にも京都府板硝子商工業協同組合の常務理事として事務局の仕事をサポート。また、京都府板硝子技術高等職業訓練校のコンピューター授業の講師も務めている。

    コンピューターとの縁は、20数年前、自宅の浴槽の水が濁ることから循環式の浴槽装置に関心をもち、「水の浄化に関する論文」を発表したことからはじまる。
     
    「おもしろい」ことを探求する精神は、中学時代の理科の先生、特に実験レポートの作成で鍛えられたことによるものらしい。納得するまで質問し、質問され、先生を困らすこともあった。今でも本を読んで納得できなければ納得できるまで出版社に問い合わせると言う。そのせいか、コンピューターに関してはプロ以上の習熟者で 故障や使い方が分からないときは、「困ったときの松波さん」という松波さんだのみの人が多いのも納得できる。プロがやらない・やれないことを松波さんはやってのける。 この探求心は、プログラムの開発にまで及んでいる。そのプログラムを惜しみもなく同業者にでも無料であげてしまう。頼まれれば正月三が日であろうと、早朝、夜間遅くであろうと時間が許す限りかけつけてくる。しかもボランティアである。数年前、会員の南さんは「上京区の事務所の鍵が閉まらなくて困ったとき、西京区の自宅から松波さんがかけつけてくれた。 夜の11時頃だった」と言う。私たちの研究会の初期のシステムも松波さんのボランティアによるものである。なぜボランティアを?の質問に松波さんは「損得を計算する力がないから」 と言うが、松波さんは、商業・工業簿記1級、商工会議所1級の資格をもち税理士試験を受験したこともある。この探求心は、当然、本業の窓、風呂、玄関など規格外の特殊な加工技術にも活かされている。ちなみにガラス施工技能士1級の資格者である。
     
    松波さんの「おもしろい」ことを探求する心は、科学的な分野だけでなく「落語」にも及んでいる。まじめなお堅い話の最中に「ダジャレ」が出るのもそのせいである。ほとんどが笑えない「ダジャレ」ばかりでこちらの方はあまり進化していないようだ。
     
    自分の性格についてどう思うか聞いてみた。松波さんは「融通がきかない、モノ事が論理的でなければ気持ちの中に入ってこない」と言う。そして、「人に喜んでもらうのが好き。それは自分が気持ちよくなるから。それに一番勉強になるのは自分自身だから、すべては自分に返ってくるから。」という答えが返ってきた。自分に素直、自分にまっすぐなのである。
     
    人は誰でも、自分の才能を世に問いたいという本能を持っている。その才能が評価され求められたとき人は更なる探求心をもって成長していくものなのかも知れない。
    松波さんの乗っている三菱ディアマンテは、松波さんにお世話になったお礼としてプレゼントされた車だそうである。
    「家内(妻)には負担をかけている」松波さんのつぶやきである。
     
    平成22年 4月 9日
    取材:岩本 昌信
     
    業者詳細ページはこちら⇒

  • 清水 仁さん ~木造建築に魅せられた職人気質の経営者~

  • ▼清水 仁さん
    昭和26年2月2日 兵庫県氷上郡(現・丹波市)生まれ
    橘工匠 株式会社 代表取締役
     
     
    縁というものは、その人が求めているものとの出会いを用意してくれるものらしい。

    京都市内の中央部に位置する姉小路界隈は、京都市の「街なみ環境整備地域」に指定されている。橘工匠が請負った I 邸の改修工事は、姉小路通りの町家と町なみの景観維持整備事業としてこの3月に完成した。駒寄せ垣、紅柄格子、蔵と住宅の白壁、そして格子戸が改修再生されて町なみにとけ込んでいる。この I 邸は、先代社長の思い入れが深い建物で、10数年前には清水さんの手で増改築が行われている。清水さんが現在理事長を勤める、協同組合京都健康住まい研究会の設立取材の際には、地元テレビのニュースでこの建物が紹介され放映されている。施主と施工者の永いお付き合い、これもまた京都の縁らしい。
     
    清水さん曰く、「建物は単なるハコモノではない。住まう人の個性・住まい方や家族のなごみがカタチになる。木造建築の魅力はそこにある。」先代社長の背中を見て気くばり・思いやり・人のぬくもりのある施工を学んだと言う。
     
    清水さんは、木造建築に興味があり、大阪工業大学建築学科に入学。卒業後、藤木工務店に入社。木造建築を勉強したいという思いから木造建築に精通している先輩を慕って倉敷支店の勤務を志願。旧倉敷紡績の工場跡をホテル(現アイビースクェアー)に建替える工事に携わった。ノコギリ型の屋根や古い材料・赤レンガなど工場の基本的な構造をそのまま活用しての工事である。連日徹夜する程の厳しい工事ではあったが、木造を活かす工事の面白さを実感できたと言う。橘工匠の事務所には、このホテルの写真が掲げられている。清水さんにとって入社間もないこの仕事が今の仕事に連なる縁であり、木造建築にこだわる出会いであった。
     
    なお、余談ですが、この写真は園部在住の清水さんの施主の息子さんがプロカメラマンとしてたまたま撮った写真の一枚だそうである。縁はどこで出会いにつながるか分からない。
     
    清水さんには、木造建築に魅せられたもうひとつの出会いがある。昭和53年10月31日発行の『店舗と建築』(建築資料研究社刊)にこんな記事が掲載されている。「京の町家の面影を残しつつ、民芸調の感じを取入れた新しい感覚」と題して、京の表具師の店舗が紹介されている。清水さんが先代社長から橘工匠入社後間もない頃に設計・施工を任された仕事である。「表は格子のある京町家。中は茶室風の数寄屋づくりで町なみに溶け込んでいること」これが施主の要望であった。写真の掲載とともに「大屋根・下屋根ラインの直線的なつながり、ポーチの在来とのつながりをいかに処理するか。敷地の高低差をいかに処理するか。外部の民芸調デザインから内部の数寄屋の部屋へと変化していく取り合いをいかに処理するか」など、清水さんの苦心談が掲載されている。
     
    匠の技が活かされた木造建築は、施主とともに永いお付き合いの中で風格を帯びてくる。平成19年には、かやぶきの民家を彦根市の琵琶湖のほとりに移築する仕事にも携わった。
     
    今、清水さんはお寺の本堂を建ててみたいという夢を持っている。「お寺は匠の技を活かした木造建築の調刻美である」と言う。職人の気質が新たな出会いを求めているのかも知れない。
     
    清水さんは言う。「仕事を卒業したら農業をしてみたい。」兵庫県氷上郡(現在は丹波市)の自然の中で育った子供の頃のような生活がしてみたいと言う。まだまだ遠い先きの先きの夢のようである。
     
    平成22年 3月 31日
    取材:岩本 昌信
     
    業者詳細ページはこちら⇒

  • 村上 一博さん ~豊かな感性、「左官アート」にかける夢~

  • ▼村上 一博さん
    昭和33年5月20日 京都市生まれ
    株式会社 丸浩工業 代表取締役
     
     
     
     
    村上さんの今年のテーマは、「左官アート」である。漆喰をコテ仕上げしたベースにアワビの貝殻で「龍」を形づくった「らでん細工」はすでに完成している。今年中に10作品を完成させ、ギャラリーでの展示を夢みている。
       
    村上さんの「左官アート」の発想は、左官のコテ仕上げの技術と美術を融合させることによって、左官のイメージアップを図りたい。それは、左官の下地仕事を仕上げ仕事にしていきたいという熱い想いが根源となっている。
      
    村上さんは昨年の11月30日に創業から3代目、会社設立から2代目の社長となった。創業者の祖父から「断るな、出来ないことはない」と教えられ、先代で現会長の父親からは「職は教えない。自ら考え創れ」と教えられたという。事務所の応接室には「成せば成る」の額が掲げてある。
      
    左官の家系に生まれた村上さんですが、左官一筋できたわけではない。京都教育大学附属高校を卒業し、龍谷大学経済学部に入学したが2年で中退、アルバイトがそのまま仕事となり飲食業を4年、その後、税理士を目指して大栄経理学校で簿記の勉強をしながら、北区、上京区の区役所の税務課、農政課で1年間アルバイト。村上さん曰く「100年位の人生を経験した」ことで人間観が養われ、人間関係の大切さを痛感したそうである。昭和57年に結婚し丸浩工業に入社、親のありがたさをしみじみ味わったという。
       
    建設業界の不況が深刻さを増す昨今、「仕事が途切れることがない」のは、創業者や先代の教えが社風となっているからと村上さんは確信している。今、丸浩工業は、左官職をベースにしながら技術改革、製品開発を行う環境提案企業として、土・古紙・木材などの自然素材を活用した「荒壁パネル」を京都大学防災研究所、金沢工業大学と共同開発し、世に送り出している。この「荒壁パネル」は有害ガスの出ない難燃材・外壁防火構造として国交省大臣認定を受け、また、耐震においても国交省大臣の認定を受け、平成21年には京都エコスタイル製品に認定されている。
     
    今、村上さんは、京都健康住まい研究会で「京都市国・残したい京都・伝えたい京都」のオピニオンリーダーとして京都の景観やまちづくり、文化など世界の京都、日本の京都への想いの提案活動を行っている。

    感受性豊かな青春時代の多彩な経験と生まれ持った遺伝子とが村上さんの個性を開花させようとしている。
     
    平成22年 3月 31日
    取材:岩本 昌信
     
    業者詳細ページはこちら⇒

12345 次へ >